【巻頭フォーカス】
製薬工場のスマート化へ向けた着眼点と 実践エンジニアリング
1.はじめに
製薬工場は医薬品を製造,研究,販売している工場である。医薬品は人の体に直接影響を及ぼす。そのため,衛生観念や管理が非常に厳しい。また,医薬品は人の生命に関わるものであり,逸脱が発生するなど生産が停止すると,患者の生命にも危険が及ぶ可能性が発生する。そのため,場内で最大限の努力を払い逸脱を防ぎつつ,医薬品の生産に取り組んでいる。
また,製薬工場では生産体制の分業化が進んでいる。昔よりも生産に求められる技術領域が拡大し,さらにそれぞれの領域で必要とされる知識や経験が増加したことが理由となっている。分業化により,専門性を高め技術の深堀が可能になるほか,担当範囲が明確になるという利点がある。一方で近年,製薬工場ではリソースが不足している。製薬プロセスや設備の変化,原料,環境の変化を五感で把握したり,頭の中のモデルで製薬プロセスをシミュレーションしたりなど,熟練者の勘や経験に依存している部分もあるにもかかわらず熟練者の高齢化が進んでいる。
人材が不足すると,今度は設備の状態を監視できなくなり,設備の故障といった不具合に対応できず設備備品が不足したり,また患者が求める薬を十分に供給できなくなるといったリソース不足の問題も存在する。また,生産体制分業化により全体像把握の難易度が高いという問題もある。たとえば,設備状態の変動,操作/動線の変動,ユーティリティ状態の変動などが挙げられるほか,属人化が進んでしまうという難点もある(図1)。
2.現場力の向上と熟練者に依存しない労働環境
こうした課題がある中,組織の現場力を高めていくにはどうすればいいか。それには,熟練者に依存しない労働環境を作成する必要がある。つまり,一般の作業者でも熟練者のような仕事ができるようにならないといけない。そのためには,熟練者が意識せずとも見えている「工場の状態」というものを一般の作業者向けに“見える化”させることが重要である。
「工場の状態」というものは熟練者が勘や経験を通して見ているものである。つまりは,勘や経験を一般の作業者でも扱えるようにしてあげればよい。それらを補うのであれば,製造現場から上がってくるデータを活用することが重要だ。製造現場から上がってくるデータというものは設備の運転状況といったものから,設備の温度,振動,音といった状態までを含める。製造現場から上がってくるデータを収集し解析することで熟練者が普段感じている勘や経験をデータとしてある程度可視化することができる。
こうして,熟練者に依存せずとも,大量のデータを活用して,設備の診断や予兆保全が行えるようになる。こうした工場を「データ駆動型スマートファクトリ」と呼称する(図2)。
3.データ駆動型スマートファクトリの実現
3.1 製造業での現状の問題点
スマートファクトリを目指していく上で,現状の製造業で発生し得る問題を改めて整理する必要がある。問題は次のようなものがある-オペレーションミス,作業遅延,計画未実施,品質逸脱,設備故障。これらのような問題は製薬工場にとって,製造を停止する必要も出てくる重大な問題である。これらの問題はそもそも発生しないように対処するのが基本となる。まずはプロセスシミュレーションや支援ロボットといった比較的導入の簡単なシステムから製剤工場へ導入していく。そして,予兆保全や設備の診断を本格的に行うために設備モニタリングや製造モニタリングを実施していく。
この段階で製剤工場から大量のデータを取得するようになる。モニタリングが進めば,自動設備診断ひいては自動トラブル原因究明に繋げることができる。それと同時に3Dスキャナや3Dプリンタを用いて部品の自製をするように技術を進めていく。
こうして,製剤設備の運転とメンテナンスが自動的に行えるようになれば,熟練者の勘や経験に依存せずとも工場を動かすことが容易になるSmart factoryを実現することができる。(図3)。
3.2 モニタリングとMSPC
今回はその中でも,特にモニタリングについて説明をしていく。
先ほども説明した通り,モニタリングにおいては設備状態や製造状態のデータを大量に取得する必要がある。それらのデータはIoTセンサやPLCを用いて取得を行う。データを大量に取得した後は,解析する手段が必要となる。この時,大量のデータというのは設備の温度や振動,その他運転状況といった複数の変数から成り立っており,単独の変数ではなく複数の変数を考慮できる解析が必要となる。
そこで,本稿においては多変量解析的プロセス管理「MSPC」(Multivariate Statistical Process Control)の考えに基づいて解析を行っている。MSPCではPCA(主成分分析)を用いることにより,複数の変数間の相関関係を考慮して,あるデータが定常な範囲から逸脱しているかどうかを調べることができる。
PCAとは,多変数データを集約して主成分を作成する統計的分析手法である。たとえば,温度センサA,B,C,D,Eという5つの変数がある時,PCAを行うことで5つの主成分を作成することができる。主成分は複数のデータの特徴を表しており,データの構成要素を多く含むものから第一主成分,第二主成分…という形で表現される。この場合,第五主成分といった,低い主成分になるとデータの構成要素もほとんど含んでいない状態になる。そうした主成分は分析を行った後,省かれて第一主成分,第二主成分といった高い主成分を用いることになる。場合にもよるが,第一主成分と第二主成分のみで80%ものデータの構成率を有する場合もある。
そして,主成分分析を行うと二つの統計量が得られる。T2統計量とQ統計量である。T2統計量は原点からの乖離度を表し,Q統計量は変数間の相関の崩れ度を表す。T2統計量は各主成分を標準偏差で割り,採用主成分の数だけ積算すると得られる。Q統計量は採用主成分から元変数に戻した時の残差を求めると得られる(図4)。
求まったT2統計量とQ統計量をしきい値で管理していく。この時,T2統計量がしきい値を超えた場合は,センサの振動が安定領域よりも大きくなったといったことを表し,Q統計量がしきい値を超えた場合は,センサが外れかけているなどセンサ間のバランスが崩れてしまっていることを表す。どちらの統計量も参照することによって,多数のセンサからのデータを取り扱う場合であっても,2つの統計量を参照するだけで管理することが可能となる。
製剤工場の設備のデータは多数の変数から成り立つので,Smart factoryを進めていく以上,MSPCによる手法は必要不可欠である。
3.3 データ回収とクラウド
ここまで,モニタリングの手法について説明を行ってきた。次はデータの回収について説明を行う。
また,製薬工場内は多数の障壁があるなど電波の妨げになる障害物が存在する。もし,センサからデータ集計モジュールにデータが上手く届かない場合は中継器を間に設置するなどの準備も必要となる。センサからデータ集計モジュールまで無事にデータが届いたなら次は,クラウドにデータを上げる処理に移る。受信したばかりの形式だとデータを上げることもできないため,データ集計モジュールの方で形式を整えてクラウドにデータを送信する必要がある。そこまでいって,ようやくクラウドにデータを集約することが可能となる(図5)。
3.4 デジタルツイン
このように現実世界の膨大なデータをサイバー空間の強力な処理能力と結び付けることで,定量的に分析,可視化することが可能となる。さらに,新たな既存の設備のデータや新規の設備のデータもサイバー空間で検討,検証され,知識を向上させていく。
そうして,可視化が進んでいけば,現場に直接いなくともサイバー空間上で再現した設備などをリアルタイムで状態可視化し,ベストな状態モデルと現実のギャップ原因を自動究明できる。これをデジタルツインと呼ぶ。このデジタルツインが現在我々の目標である。
デジタルツインに伴って仮想3D工場モデルも作成している。この仮想3D工場モデルは現在の設備の状態もすぐアクセスできるように設計している。また,実際の工場内を見学するように仮想3D工場モデル内を歩く事も想定している。これらはHMD(VRヘッドマウントディスプレイ)を装着しての体験を想定している。装着することで,あたかも実際の現場にいるかの如く設備の状態を確認することが可能となる(図6)。
仮想空間で遠隔から設備の状態を監視し,問題があれば,現場に行って状態を確認,その情報を再度仮想空間に持ち込み反映させるといったように現実と仮想の世界をリンクさせることがデジタルツインにおいて重要となる。デジタルツインを展開していくことで,熟練者に依存しないSmart factoryを目指す。
4.終わりに
我々が目標としているデジタルツインの展開は,現状は簡易IoTセンサを用いて設備の状態をモニタリングするモデルの作成が可能となっている。また安価なセンサを用いてモニタリングを実施しているので低コストでモニタリングを展開することができるという利点がある。それゆえ,今後は幅広い製薬工場に向けてモニタリングを展開していきたい。さらに多数の種類のIoTセンサと製造状態のデータを用いることで汎用性も兼ねそろえている。
こうして,状態可視化,健全性モニタリングが実現されてくると,今度は品質を推定するモニタリングも実施可能になると仮定する。たとえば,製品品質や歩留まりなどが挙げられる。また,モニタリング実施時に,ベストな状態から逸脱した際の対応ガイダンスへの提供も可能だと考える。これらの実現に向けて歩んでいくことによって状態の観点での現実世界と仮想世界のデジタルツインの実装へ近づくことが可能だと考える。
デジタルツインを活用することによって需要,顧客要求品質,原材料特性変動に柔軟に対応可能な顧客満足度の高いモノづくりの実現も可能となる。製薬工場は清潔状態を高めに保たないといけない以上,遠隔から設備の状態を把握できることはメリットが大きいことを表す。今後もDXに積極的な製薬企業に対してデジタルツインを重点的に対応させていきたい。