【トレンド】
AIを活用した配管腐食外面検査システムの開発と運用 ~人とAIの協調による“育てるシステム”へ
1.はじめに
三菱ガス化学新潟工場(以下,新潟工場)は,目の前に日本海が広がり,海風の影響などによりプラントにとって非常に厳しい外部腐食の環境となっている。新潟工場では,最も重要な保安業務である外部腐食配管の検査業務を長年,人手で行ってきた。各配管の設置場所の詳細を熟知している運転員が配管の腐食箇所の画像を撮影し(1次検査),画像診断の経験が豊富な保守員(熟練者)が画像を見て対策を判断してきた(2次検査)。
保安のためには,検査の抜け漏れ防止が最も重要であるため,画像枚数は膨大となり,必然的に画像から判断する保守員の負荷も多大となり,作業負荷の低減が大きな課題であった。検査結果にも各個人のばらつきが見られ,検査水準の向上が求められた。腐食配管の検査の業務フローを図1に示す。
図1の課題1については,経済産業省から発信されている「プラントにおける先進的AI事例集」1)に配管外面の腐食の検出にAIを活用する事例が紹介されており,「プラントの外部腐食配管の検査の効率化」を目的としたAIの活用が述べられている。AIを導入して「人の負荷の低減と時間の削減」を図るとともに,個人の判断のばらつきに対する「検査水準の向上」にAIを活用することが考えられた。
課題2の対策としては,「検査情報を一括管理できるシステムの構築」による業務の効率化が目指す方向性となる。具体的には,従来のエクセル管理では難しかった入力補助や検索性の機能,AI再学習のために必要な学習データ作成の機能を含めたシステム開発が考えられた。目指すべき姿を図2に示す。
2.コンセプトフェーズ
2.1 要求分析
「AIの導入」と「業務の効率化」の二つを盛り込んだシステム開発を進めていくために,まず「創りたいシステムのイメージ」を議論した。「AIに何をやらせたいか」「業務の効率化のために何をやりたいか」を含む全体のイメージを図3に示す。
図3を元に,「対象システム」のユースケースを抽出したものを図4に示す。
図4では,対象システムは「AI腐食診断システム」と定義されること,外部システムとして運転員と保守員が存在すること,運転員は腐食配管を撮影すること,運転員と保守員はAI腐食診断システムとつながりを持つこと,AI腐食診断システムは「画像からAIが腐食を自動判定すること」,さらに「画像と検査データを紐づけること」,「修正結果に基づきAIに再学習させること」が示されている。
図4を元に,AI腐食診断システムに求められる機能を次のように定義した。
1)画像からAIが腐食を自動判定する
2)AIモデルは再学習により更新する
3)画像と検査データを紐づける
4)登録された画像に対して2次検査,3次検査とワークフローが進む
上記の機能を満たすAI腐食診断システムは「AIサブシステム」と「マスタサブシステム」に分けて進めることにした(図5)。
AI腐食診断システムを開発するにあたり,次の3つの課題を特定した。
・学習データ作成のための腐食度合いの判定方法の標準化(熟練者のノウハウの形式知化)
・業務プロセスの中にいかにAIを導入するか(いかに業務改革を盛り込むか)
・AIの精度は未知数である
2.2 学習データ作成のための標準化
当初は,AIモデル構築のための学習データを作成しようにも人による違いが見えない,わからない状態であったので,新潟工場にて熟練者を中心に11人のチームをつくり,3ヵ月かけて次の活動を行った。
1)ヒアリングを行い,人が頭の中で考えていることを記述した(言語化)。熟練者の判断基準をまとめた後,担当者ごとの考え方を洗い出し違いを確認した。
2)記述された情報をマニュアルとして整理した。
その結果,判断の基準やプロセスが明確になり,AIモデル構築の学習データとして,画像を見て配管の「腐食部分」と「腐食度合い」をレベル別に表示させることが可能となった。腐食度合いは軽いものから順番に,「塗装が剥がれた」「さびが出る」「軽度な腐食」「腐食」「重度な腐食」の5段階とした。
2.3 AIの精度が未知数であるための対策
「業務プロセスの中にいかにAIを導入するか」と「AIの精度は未知数である」という課題について,新潟工場とABEJAで議論を重ねた。
国内における腐食配管へのAIの導入については,これまでAIモデルの構築や精度向上を目的としたPoC(概念実証)は活発に行われているが2,3),現場で運用されている報告事例が見つからなかった。高精度のAIモデルをPoC段階で実現することが難しく,システムとしての実装まで進まないのではないかと考えられる。
PoCは活発に行われているにもかかわらず実装への難易度が非常に高いという課題を解決するため,開発フェーズでの未完成なAIモデルを許容し,運用フェーズで「人とAIの協調」によりAI腐食診断システムを現場に育ててもらうというコンセプトで開発を行った(育てるシステム)。
「育てるシステム」の実装のためのコンセプトと「育てるシステム」の開発のためのアプローチについて記述する。
(1)「育てるシステム」の実装のためのコンセプト
業務プロセスの中にAIの判定を組み込むためには,「画像の情報の管理」と「業務のワークフロー」を盛り込んだ「マスタサブシステム」とAIモデルの判定を行う「AIサブシステム」を連携させることが重要であり,再学習データの作成の機能をマスタサブシステムに持たせることが必要であった。
運転員と保守員が運用フェーズで保安業務を実施すれば,自動的にAIが使われ,自動的に再学習データが蓄積され,AIモデルの精度が上がっていくという考え方で全体システムを構築した。仮にAIモデルの精度が70%程度であっても,業務プロセスの中で運用されていくことにより,保安業務が滞りなく実施される仕組みである。
(2)「育てるシステム」の開発のためのアプロ―チ
「育てるシステム」を開発するためには,AIサブシステムには「データを保管する」,「腐食度合を学習する」,「腐食度合を推論する」,「腐食度合(AIモデル)を評価する」などの機能を持たせることが必要である。システム開発はABEJAが担当した。ABEJAでは,これらの機能を総合的に「ABEJA Platform」により提供するものと定義している。
AI腐食診断システムの目的は「保安業務」であるため,現場が使えば使うほど保安力が強化していき現場力が向上していくものでなければならない。マスタサブシステムの開発では,現場の使用者のニーズに耳を傾け,使いながら改善していくアジャイル開発のアプローチで進めている。AI腐食診断システムを運用しながら,保守員や運転員の気づきを次の開発に活かしていくことを意図している。運用しながら外部環境の変化に応じてシステム分析を継続的に実施し,追加や変更に関する要件定義,更新した要件をシステムの中へ実装し運用,さらに分析,要件定義,実装を繰り返していくアプローチである。
3.設計・開発フェーズ
3.1 AI腐食診断システムのアーキテクチャの定義
図3,4,5を元に,運用フェーズでの人とシステムの相互作用を定義したものを図6に示す。
運転員により画像と情報がマスタサブシステムに送られ「データを保管する」。画像はAIサブシステムに送られ「腐食を自動判定する」。判定データはマスタサブシステムを介して保守員が確認し,判定が間違っていたら保守員が修正しAIサブシステムに送られ「判定モデルを向上させる」。修正モデルが次の自動判定に使われることにより,AIの精度が向上していくという考え方である。腐食配管の検査をAIにより自動化・効率化するために,マスタサブシステムからAIが保守員の評価を取り込むことにより成長していく考え方である。このアーキテクチャに基づき,設計,実装を行った。
3.2 AI腐食診断システムの詳細
図6のAIサブシステムの詳細を図7に示し,図7中の(1)から(7)の意味を以下に説明する。 (1)運転員がマスタサブシステムのユーザインタフェース(UI)(ユーザへの表示)/ユーザエクスペリエンス(UX)(たとえば,ユーザの実行)の画面から画像とデータを入力する。 (2)UI/UX経由でABEJA PlatformのAPI(たとえば,プログラム)を呼び出し,画像とデータをクラウドストレージに保存する。 (3)クラウドストレージにある画像は自動的にAIモデルが推論し,評価する。 (4)AIモデルが推論し評価した画像をマスタサブシステムに送り,保守員が確認する。 (5)保守員がAIモデルの判定結果を確認し,間違っていれば修正情報を入力する。 (6)タイミングを見てAIモデルが再学習する。 (7)再学習後のAIモデルの挙動を確認する。 4.運用フェーズでのこれまでの評価 AI腐食診断システムの対象配管としては,炭素鋼とステンレス鋼の配管(保温施工なし)のシステムを開発した。AIが画像から「腐食した部位」と「腐食の進行度」を設定した様子を写真1に示す。 表1に炭素鋼配管とステンレス鋼配管の開発の概要を示す。炭素鋼配管向けの開発では,画像を見ての「腐食箇所の特定」と「腐食度合いの判定」の2つの検討を行ったため,アノテーションデータは3800枚を要した。 ステンレス鋼配管の開発では,すでに構築された炭素鋼配管の開発経験を活かすことにより,500枚のアノテーションデータで行うことができた。「人とAIの協調」のコンセプトに合わせ,実運用において再学習用のデータを集めAI精度を上げる計画とし,開発時の画像枚数を減らしたが,AIモデルの精度は74%が得られた。 再学習は炭素鋼配管の画像110枚を用いて行ったが,AI精度は再学習前とほぼ同じ値であった。 マスタサブシステムでは,運用の中で「人が情報に素早くアクセスする機能の追加」,「画像の保管方法の効率化」,「再学習データの作成の効率化」の改善を図った。表2にAI腐食診断システムの導入効果を示す。 AI腐食診断システムの導入により,運転員の業務負荷は67%,保守員の業務負荷は30%削減し,全体で業務負荷は約50%の省力化となった。 実際に運用を行っている現場にインタビューを行った結果を示す。 ・熟練者による判断業務はAI精度69%でもさほど気にならず,十分活用できる。 ・運転員による画像入力時間は3分→1分に短縮(67%削減)。 ・AIの判定結果と人が想定した腐食具合を比較することができ,学びになる。 ・運転員がAI腐食診断システムでAIの診断を学ぶことにより,画像を見つける正確性が向上すると考えられる。 保守員だけでなく運転員もAIの判定に興味を持つことにより「人とAIの協調」による使い方が進み,保安力は確実に向上していくものと考えられる。 ・今後,配管の肉厚測定などの実データを元にした再アノテーションの結果を盛り込むことによる再学習を行い,本システムの精度を上げていきたい(改善提案)。 ・将来的にはデータが蓄積されるので,プラントの中での腐食の推移,予測に活用できると考えられる。 ・今後のデータ蓄積に期待できる。 以上のような意見が寄せられた。 5.今後の課題と開発方向 今回の再学習では,開発フェーズでは熟練者(保守員)が精査して約3800枚のアノテーションを行ったのに対して,運用フェーズでは運転員の撮影した画像をAIに診断させた中から不正解が見られた110枚について再学習させた。AIモデルの精度が向上しなかった一因としては,潤沢なデータ枚数を確保できていないことが考えられる。さらに,熟練者(保守員)が「理想的な腐食画像」の収集に努めた開発フェーズと異なり,運用フェーズでは運転員が現場のリアルな腐食画像を登録した。その中にはピンぼけ画像や対象配管を特定しづらい画像も含まれており,画像の質のギャップがノイズとなってしまったと考えられる。 炭素鋼配管の開発フェーズでは,現場に大きな負担をかけて約3800枚のアノテーションデータを作成したが,枚数を少なくして開発フェーズの負担を抑え,運用フェーズでの再学習で補填する検証を進めることにより,他の配管や他の工場への展開をより効果的に実行することが可能となる。
図7 AIサブシステムの詳細
写真1 AIが画像から「腐食した部位」と「腐食の進行度」を設定した様子 実線□:重度の腐食 破線□:軽度の腐食
表1 炭素鋼配管とステンレス鋼配管の開発の概要
表2 AI腐食診断システムの導入効果(導入初期)
今後は,本成果を他工場へ展開し,さらに保温付き配管へと拡張していく。
〈参考文献〉 1)経済産業省,『プラントにおける先進的AI事例集』,2020年11月,20201117001-4.pdf (meti.go.jp) 2)秦央彦,佐伯隆,守屋泰弘,今村彰太郎:「画像データの解析による配管外面腐食評価システム」,第49回石油・石油化学討論会(山形大会),2019年 3)田中達也,武田和宏:「AIを用いた配管の自動認識による管理対象選択手法の開発」,第63回自動制御連合講演会,2020年
ABEJA 岡 田 陽 介
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