【製造 DX 実現への視点・論点】
製造現場におけるDXの方向性と取り組み
1.はじめに
DXといった言葉が社会に浸透し,化学プラントでもデジタル技術を用いて生産手法を変革し,安全性,生産性,競争力を高めていくといった機運が高まっている。AI・機械学習といった高度な気づきを与えてくれる技術が進化したり,スマートグラスやドローンのような魅力的なハードウェアも登場したりなど,解決できる課題の範囲も着実に広がっている。
本稿では,当社の生産現場における当該技術の活用およびその捉え方について述べる。
2.化学プラントの特徴とデジタル化の背景
生産現場のデジタル化と言えば,DCSが普及してから既に30年以上経っている。社内のどこからでも現場データにアクセスできるようになって20年が経つ。また,APC(Advanced Process Control)やシミュレータ等との連携で高度な制御環境を構築できるようにもなった。フィールド側では,センサやアクチュエータの高機能化も見られる。このように生産現場では長い年月を掛けて粛々とデジタル化が進んでいる。
また,運転手法に目を向けると,国内の多くの工場では,旧来のデジタルシステムの弱点に対して人が補完する仕組みを長い年月を掛けてブラッシュアップさせ,デジタルと人が良いバランスで共存してきた。
ここ数年のデジタル技術の進歩で特筆すべきは,情報を取り扱う分野で最新のコンピュータ性能やクラウド等の環境を活用した新しい技術が数多く提案されたことであり,従来,人が築き上げてきた人とデジタルの共存関係を大きく変化させる好機となっている。
3.DXの進め方と組織
当社のDX戦略は,「DX戦略1.0個別領域の生産性向上」,「DX戦略2.0既存事業の競争力強化」,「DX戦略3.0新たなビジネスモデル実現」の3つのフェーズに分けて計画しており,DX戦略1.0を概ね軌道に乗せ,DX戦略2.0の取り組みを並行して進めている段階である。
生産のデジタル化はDX戦略1.0に属している。各工場に実行組織を配置し,工場間の横串を通すことで,偏りの生じやすい情報共有,技術検証および水平展開を一体で取り組んでいる。サプライチェーン連携等,事業部門との協力も視野に入れ全社で方向性を合わせて進めている。(図1)
4.製造のDXの現状を様々な観点から見る
4.1 デジタル化の対象カテゴリ
デジタル技術の生産現場への展開は,①人の作業の領域,②プラントの運転高度化の領域,③設備の保守の領域,④多様なデジタルとの連携の領域の4つに分類できる。(図2)
(1)人の作業領域におけるデジタル
製造現場では,運転記録やそれに基づく報告書の作成,フィールド点検,引継ぎ,他部署への依頼など,人が主体となる定型的な作業が数多く存在している。未だに紙とペン,判子の文化が残っている世界である。携帯端末やSNS,画像でのコミュニケーションが浸透している世間とは開きがある。ただし,昨今のデジタルの拡がりにより,生産現場においても,新しい技術に対する許容性は格段に増しており,従来のアナログ的な業務をデジタルに移行させることへのニーズは高まっている。
人の作業に対するデジタル化の取り組みは,単なる業務の置き換えや旧システムとの対処療法的な接続で終わらせるのではなく,業務ワークフローの根本的見直しや,標準化を前提にする必要がある。また,ハードウェア,ソフトウェアの進歩は早く,基幹システムでもない限り,新たに構築したシステムは10年前後で陳腐化する可能性もあり,恩恵を享受する時間を少しでも伸ばすべく,迅速な立ち上げが必要である。
(2)プラントの運転高度化に関するデジタル
化学プラントは,安全性や操作性を考慮し設計され,その多くは完成後に短期間で目標とする運転状態にある。また,一般的に装置容量が大きいため外乱や操作に対する応答スピードが緩慢で,負荷や銘柄ごとに異なる特徴を持つ。これは,人の操作においてはそれほど問題にならないが,自動制御や機械学習の面では不利に働く。
設備の制御は基本的にはDCSなどの装置が担うが,負荷変更や銘柄移行などの非定常な操作では,システムに頼るよりも運転者が判断し操作する方が容易であり,確実性も高いと考える傾向がある。デジタルと人が補完しあう運転形態である。
しかしながら,労働人口減少が迫る中,運転の自律化が求められており,デジタルツインやAIなどの最新の高度な技術が注目される一方で,既存のデジタル技術である制御技術やシミュレーション技術などのプロセスシステム技術も現実的な解決手段だと期待される。
(3)設備の保守のデジタル
設備保全は日々のパトロールと定期的なメンテナンスによるTBM(Time Based Maintenance)の手法が主流となっている。今後,センサ類の充足やデジタルの力を借りながら,CBM(Condition Based Maintenance)やPM(Predictive Maintenance)も取り入れたベストミックスな手法に移行していくのが自然な流れである。
デジタル技術が設備の保全に貢献するポイントは,概ね以下の3つが挙げられる。
1つ目は点検パトロール作業の効率化に寄与するもので,ドローンやスマートグラスなどの活用がそれに当たる。2つ目は監視精度の向上で,振動センサなどに代表される各種センサの充実やカメラ画像の解析などがこれに当たり,連続的な監視による高度な状態把握を目指せる。3つ目は予兆検知技術であり,センサ情報から,機械学習を用いて異常状態を予知する技術である。
機器単体で見た場合,故障の頻度は少なく,故障実績からモデルを構築することは難しいため,正常と異なる状態を検知するアノマリーディテクション型の予兆が採用される場合が多い。正確さの面から見ると未だ人の判断の補助の位置づけにとどまっている。インテリジェントセンサやアクチュエータなど,機器内部の状態を直接センシングし自己診断する機器も存在し,近い将来には,予兆検知などの手法と組み合わせて,人の代替となる技術に成長することを期待する。
(4)多様なデジタルとの連携
製造はサプライチェーンとエンジニアリングチェーンの双方の交差する部分に位置しているが,DXの展開スピードで考えた場合,サプライチェーンとの連携が先行する。技術アイテムから見ても,生産計画や製品のトレーサビリティ,倉庫管理のように共通部分が多く,情報を共有しながら相乗的効果に繋げることができる。
生産計画などの技術は歴史も古く既に完成形に近いが,最近ではAI技術を取り入れさらに高度化が図られている。トレーサビリティや倉庫管理なども他業界では既に活用されている技術である。活用可能な技術アイテムの多くは揃っており,社内外の組織を巻き込んだ幅広い取り組みに発展させる必要がある。
4.2 取り組み事例 (1)操業情報の電子化~操業管理システム 運転管理業務は操業日報の作成や勤番間での引継ぎ,業務タスクの管理など,プラント状態や作業記録などの情報を元にする多くの作業から成り立っており,情報を電子化,共有化できるデジタル技術が有効である。 電子日報システムなどの操業管理システムを導入することで,作業負荷の高い雑多な業務フローから解放されるとともに,さらにAI技術等を活用することでトラブル対応力の向上に貢献できる。確実性の高い効果で足場を固めつつ,さらに将来の効果を狙えるといった点で取り組みやすいアイテムである。(図3) (2)運転の自動化 製造設備は,本来であれば,運転者の負担が少ない高い自律性を持つべきである。化学プラントにおいては,プロセスの複雑性,応答の緩慢さや外乱等の影響により,従来のPID制御のような制御システムでは追従性,安定性の面で十分でなく,人の介入を必要とする場合がよくみられる。こうした介入アクションは,運転者らの経験による属人的な操作である場合が多く,一旦,人の介入を前提とした運転手法が定着すると変えることは難しくなる そこで,いくつかの工場では,PID制御の弱点を補完し得る制御方式として,Prof. Richaletの提唱したPredictive Functional Control(PFC)を採用している。化学プラント特有の遅延の大きな制御対象に対して,人の感覚に近い制御性能を有しており,温度制御や品質制御などの,従来難しかった対象の自動化に効果を上げている。(図4) (3)機械学習・プロセスデータ解析 機械学習は,過去何度も製造現場の課題解決手段として取り上げられ,想定外の知見や人が認識できないようなプラント挙動の再現などの実績が報告されているにも関わらず,広く採用されるにはいたらなかった。この技術が,専門家のみが取り扱う高コストの技術といった誤った認識が先行してしまった影響が大きい。また,化学プラント特有の動特性や反応などの非線形挙動を取り扱うための“コツ“が必要であるという点も活用を難しくしている。 この技術を一過性の流行で終わらせることなく,工場に広く定着させることが,今回の一連の取り組みの出口と考え,ドメインナレッジを持つ工場人材の育成と環境の整備を進めている。この活動によりデータ解析に関わる技術テーマの件数が運転条件探索や異常時の要因究明などを中心に上昇傾向にあることが確認できており,工場エンジニアの手に届く範囲からテーマが広がっている。(図5) 5.最後に 言うまでもなく,デジタル技術は既に我々の生産活動に深く浸透している。今後とも生産現場で生じる諸課題の解決と将来の発展のために有効な技術として活用され続ける。同時に,それは自らの活動の中にデジタルに関わる課題も取り込むことになる。情報セキュリティ上の脅威や深刻な担い手不足,根強いアナログ的価値観との相違などである。 これらは今後デジタルと共存していく上で可及的速やかに解決すべき課題と認識している。また,デジタル技術が解決を渇望する大きな将来課題に対して切り込んでいくことの意義は大きいが,同時に,身近な課題の解決を通して技術をブラッシュアップし,利用価値の高い技術に発展,定着させていくことも我々のこれからの使命だと感じている。
図3 操業管理システムイメージ
図4 PFC適用事例
図5 データ解析案件
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